佐藤直文TM・思い出のダービー 1993年第60回『 “政人!政人!” 感動受けたウイニングチケット』

【優馬TM 思い出のダービー】
私にとって最高の思い出となっているのは、1993年、ウイニングチケットが勝ったダービーである。もちろん、レースそのものが素晴らしかったのは言うまでもないが、ジョッキーが柴田政人(現調教師)だったことで、感動が何倍にも膨れ上がったのだった。

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誰もが“ダービーを勝たせてあげたい”と

 当時、私はトラックマンになって5、6年目。ちょうど、仕事も競馬も本当に面白くなり始めた頃だった。柴田騎手とは、弊社の先代社長が懇意にしていたこともあり、かなり親しくさせてもらっていた。自宅でご馳走になったり、飲みに連れて行ってもらったり、という中で感じていたのは、本当に“男気”のある人だということ。とにかく昔堅気で礼儀を重んじ、いわゆるビジネスライクではない。ゆえに、ジョッキーのフリー化が進む中で、最後まで厩舎の所属ジョッキーでいたのだ。そんな人柄だけに、サークルの誰もが“ダービーを勝たせてあげたい”と思っていた人物だった。

 ウイニングチケットを管理していた伊藤雄二調教師もその一人だ。ダービーを政人に取らせたい、という思いで、新馬戦の手綱を任せている。しかし、そのデビュー戦で5着と敗れたことで、次もスンナリというわけにはいかなくなった。後日、別の調教師に聞いた話だが、続く2戦目を当時は若手の横山典弘、3戦目の特別戦で同じく若い田中勝春を乗せたのは、ダービーは政人で、という思いが強かったからだそうだ。それが証拠に、次走は、当時のクラシックを目指す関西馬が集う年末のラジオたんぱ杯ではなく、わざわざ同じ週に中山で行われた、柴田が乗れるホープフルステークスを選んでいる。

これほど叫んだダービーはない

 その後は、弥生賞を勝って皐月賞という王道のローテーションを歩むわけだが、私自身は皐月賞ではそれほど期待していなかった。というのも、弥生賞後に『少し不器用だから、少頭数が良かった』というジョッキーのコメントがあったからで、多頭数の皐月賞では半信半疑だったのだ。結局、皐月賞は1番人気の支持を集めながら、繰り上がりの4着という結果に。ただ、人気が落ちるダービーでは、しこたま単勝を買ってやろうと考えていた。

 ところが、ダービーでも人気は落ちず、1番人気に。相手も、先行する後の菊花賞馬ビワハヤヒデと、追い込んでくる皐月賞馬ナリタタイシンの2頭というムードだったため、馬券的な興味よりもレースそのものに集中し、余力でウイニングチケットと柴田政人を応援しよう、と考え直していた。

 レースが動いた4コーナー手前、空いた内へウイニングチケットと柴田政人が突っ込んできた時は『えー、早いよ』と思ったのだが、坂下では先頭に立っていたのだから叫ばずにはいられなかった。『政人! 政人!』後にも先にも、私がこれほど叫んだダービーはないだろう。

佐藤直文

筆者:


1963年、愛媛県生まれ。大学卒業後に入社し、当時(1馬)の看板評論家であった清水成駿に師事。坂路担当の調教班として馬の状態を自らの眼で確かめるとともに、独自の視点から発掘した穴馬を狙い撃つ予想スタイル。現、ラジオ日本、グリーンチャンネル解説者。

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