【宝塚記念回顧】「武豊マジック」何もかもがベスト ベラジオオペラらを「責めるわけにはいかない」

佐藤直文 レース回顧
宝塚記念

後続も成す術なしの豊マジック メイショウタバルが鮮やかに逃げ切る

 午後になって重馬場から稍重へ回復したとはいえ、道悪と言っていい馬場状態。ただでさえキレ味を削がれる状況で、1000m59秒1という淀みのないペースに持ち込んだ逃げ馬に対し、成す術がなかった後続を責めるわけにはいかないだろう。

 メイショウタバルは、外目の枠からジワッとハナに立ち、速過ぎず遅過ぎずのマイペース。そのペース配分もさることながら、終始自分のリズムで走れたことで、勝負どころから目標とされた2着馬を直線で突き放すことができたように思う。これで阪神コースは3戦3勝。重馬場だった毎日杯を良馬場並みの好時計で逃げ切っていたように、今日のような馬場もドンピシャだった。脚質的に成績が安定しないのは仕方ないが、距離も2200~2400mあたりがベストであろう。

メイショウタバル

坂を上っても脚色は衰えず、武豊メイショウタバル(緑帽)が見事な逃走V

 2着ベラジオオペラは、前を見る形で運んで勝負どころから勝ちに行く自分の競馬ができたが、今日のところは仕方ないだろう。むしろ、やや長い距離とけっして楽ではない競馬で2着を確保したことを評価すべきだ。

 3着ジャスティンパレスは、道中で無駄に脚を使わずに直線勝負に徹したが、ブリンカーの効果も十分あったように思う。

 4着ショウナンラプンタは、この馬なりに脚は使っているが、前走同様に一線級相手ではここまでだったか。

 ロードデルレイは、自身初めて掲示板を外す結果となったが、行きっぷりが本物でなかったあたり、状態面に問題があったか。ドゥレッツァは、馬場の緩い内から外へ持ち出すシーンを作れなかった。レガレイラは、大外枠からポジションを取りに行ったところまでは良かったが、以降は十分に脚を溜めることができないままの追走だったか。この馬もまた久々が微妙に影響したかもしれない。

佐藤直文

筆者:


1963年、愛媛県生まれ。大学卒業後に入社し、当時(1馬)の看板評論家であった清水成駿に師事。坂路担当の調教班として馬の状態を自らの眼で確かめるとともに、独自の視点から発掘した穴馬を狙い撃つ予想スタイル。現、ラジオ日本、グリーンチャンネル解説者。