TMアンケート『思い出のダービーを教えてください』
競友チームもアツい語りで参戦!
小粥TM(競友)
1971年・第38回 ヒカルイマイ
この業界に入った年のダービー。初めてライブで観たこともあるが、当時は1コーナーまでに10番手以内が鉄則のように言われていた中、敢然と後方待機から直線、見事に追い込んだレースぶりが印象的。僕はダービーに乗るんじゃない、ヒカルイマイに乗るんだ、と語って、この馬のレースに徹した若干・田島良保の度胸の良さに感心した。何はともあれ、キャリア出発点のレースで思い出は一番と言える。
宮崎TM(競友)
1990年・第57回 アイネスフウジン
ナカノコールが凄かった。
前田TM(競友)
1994年・第61回 ナリタブライアン
大丈夫?っていうくらい4コーナーで外に出したのに、ぶっち切ったのが印象的。
山下TM(競友)
1997年・第64回 サニーブライアン
自分が本格的に競馬を見始めた次の年で、初めて2歳戦(当時はまだ3歳表記)からクラシックまでの流れを見た上でのダービーでした。皐月賞が大波乱の3角先頭からの押し切りでしたが、辛勝で誰もがフロックだと思っていました(私も)。ダービーでは大外18番からの果敢な逃げ。直線でもセーフティリードを守り二冠を達成。「これはもう、フロックでも何でもない」という実況もありました。ちなみに、サニーブライアンの母サニースイフトは87年のダービー2着サニースワローの妹。サニースワローも大西直宏騎手で、鞍上も10年前の雪辱を果たしました。あのサイレンススズカがサニーブライアンの鋭いダッシュを見て控えたくらいですから、大西騎手の気合いは凄かったんですね。ダービーではその後、逃げ切りはありません。当時の私は、地味な騎手(失礼)でもダービーを勝てるんだ…、とビックリしました。弥生賞→若葉Sと完敗だった馬が二冠を取るなんて、信じられませんよね。ちなみに、私はもしサニーブライアンが菊花賞に出ていたとしたら、三冠を取った可能性は高かったと思います!(笑)
今野(競友)
1998年・第65回 スペシャルウィーク
天才・武豊が始めてダービーを勝った日。SMAPのキムタクがプレゼンターだと聞いてスタンド内で働いていたありとあらゆる女性達が表彰式を見ようと窓辺に殺到。後ろから押されて落ちてしまうのではないかと思った。
タニノギムレットのダービーデイ(2002年)はレース後(最終レース後?)にスタンドをまたぐように大きな虹が。天才が勝つ日は全てが違うと感じた。
1998年スペシャルウィークが勝った日本ダービーのレース映像
前田(競友)
朝日杯FS(GI)
払戻金 9万2400円
的中買い目を見る
宮崎(競友)
阪神ジュベナイルF(GI)
払戻金 49万7300円
的中買い目を見る
宮崎(競友)
チャンピオンズC(GI)
払戻金 54万1500円
的中買い目を見る
土屋(競友)
12/14(土)中山1R
払戻金 31万2450円
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三代川編集
香港マイル(GI)
払戻金 40万3700円
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前田(競友)
朝日杯FS(GI)
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宮崎(競友)
阪神ジュベナイルF(GI)
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宮崎(競友)
チャンピオンズC(GI)
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土屋(競友)
12/14(土)中山1R
払戻金 31万2450円
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三代川編集
香港マイル(GI)
払戻金 40万3700円
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コメント
石田馬手が馬場に飛び出した姿が今でも忘れない。それと本命のタカツバキが挟まれて落馬したのは抽選場を勝たせないとする騎手は哀れに思った。
モンテプリンスが負けたダービー
なんと言ってもトウカイテイオーですよ!テイオー奇跡の復活の有馬記念でダービー馬の意地をみせてくれました
ウインニングチケットです
柴田政・岡部・武の三名騎手の対決も凄かった!
トウカイテイオー。勝つのが当たり前、控えめな安田さんが90パーセントの確率で勝てる自信があると話してた。派手さはさほど無いけど、この馬は実は1番強いと思います。
ナリタブライアン
別の生き物かと思う程に強かった
アイネスフウジン。いまやラスト3ハロンの「ヨウイドン」が主流の日本ダービーだが、「強い馬」とはこの馬の事だと思う。それと、雨の激走、ロジユニヴァース。
ダイナガリバー。皐月賞はローテーションの狂いで凡走も、ダービーで復活。暮れの有馬も制した、ここ一番の強さ。
馬券の相性が抜群の馬でした。
ダイシンボルガ-ド 皐月賞で人気したが馬群に沈んだが見事にリベンジ、2着にミノルが入り 枠連1-6的中、兄弟に小遣いをあげた。
2000年のアグネスフライト。河内の夢が叶ったダービー。向こう正面で最後方にいたときはひやひやしたが、直線のたたき合いの末ゴール板を過ぎて、河内Jの左手が上がった時は、思わずこちらも手が上がったのを覚えている。単勝馬券は今も持っている。
2005年のディープインパクトの日本ダービー。
最高のレースをしたインティライミを、大外からただ1頭突き抜けて5馬身差の圧勝。前年のキンカメに並ぶダービーレコードタイを記録。ドュラメンテがレコード更新した今でも、ディープのダービーの印象が強烈です!!
アイネスフウジンのダービー。
ほとんどの人がナカノコールで盛り上がってましたが、ライアンファンの私には本当に残念なダービーでした…
1991年のトウカイテイオーのダービー。
競馬に興味を持たせてもらったので。
カツラノハイセイコ皐月は体調崩し厩務員さんの寝ずの看護でダービーに間に合わせ、内容もまさに死闘!応援していたロングエースの子テルテンリューらを抑えてフラフラでゴール!父ハイセイコーの底力を見せた価値あるレース
平成3年 アイネスフウジンのダービー。
自然発生したナカノコールもさる事ながら、ハイペースで逃げてヨタヨタになりながらレコードで逃げ切り勝ちしたアイネスフウジンに感動。
カツトップエースの勝ったダービー。レースのレベルは大したことなかったが、大崎騎手の巧さが光った。
武豊騎手が初のダービー制覇を飾った
スペシャルウィークです。直線抜け出した
武豊騎手はステッキを落とし手綱だけで
追い出し圧勝を飾ったスペシャルウィークの
強さに感動しました!2着に河内洋さんが
騎乗したボールドエンペラーが入り馬連で
初の万馬券的中しました!
万馬券を的中した、ミホノブルボンとライトワールドの馬券
友達にウイナーズサークルを狙うといったら、ダート馬だよって言われました。
初めてダービーの単勝をとった馬です。
スペシャルウィークですね!
天才武豊初めてのダービー制覇だったし、一頭次元の違う走りをしていたのを忘れられません!
キングカメハメハですわ。
感動よりもビックリ!!
NHKマイルー東京優駿なんてゲームみたい
凄過ぎる。。。
今年も優馬読んで楽しみます。
自分にとって思い出のダービーは2つあります。
1つはウオッカの年。自分は4月が誕生日なので、20歳を迎えて最初にやる競馬はこれだと決めていました。100円の複勝馬券を握って応援したのを今でも憶えてます。
もう1つは何と言ってもオルフェーヴル。馬券を買うようになって初めて出逢った三冠牡馬。土砂降りの雨の中、泥だらけになりながら池添騎手と共にウイニングランした光景には涙しました。
トウカイテイオーが勝ったダービー。
唯一生観戦したダービー。単枠指定大外枠も何のその、直線ぶっちぎり痺れたよ。暑い日でメチャクチャ日焼けした記憶。
ウオッカの勝ったダービーですね!
朝ウオッカが勝って2着が王さまだった夢をみました。
それでウオッカから馬連5頭2千円流しその中にフサイチホウオウがいました、1番人気!
半信半疑のウオッカの馬券、勝ったのはウオッカでしたが
2着はアサクサキングス、キングは王だよな
それにきずけなくて単勝1万勝っとけばよかったと後悔しました。
一番応援したのはアサヒエンベラー=中舘英二、一番感動したのはアイネスフウジン=中野栄治、一番興奮したのはアドマイヤベガ=ナリタトップロードの年。
競馬をやっていれば日記がいらない、と書いてる方がいますが、まさにその通りで、競馬を始めたルドルフの年からアグネスフライトの年くらいまでは、当日のことがなんとなく思い出せます。平成7年タヤスツヨシの年は父が死去した当日、病院のロビーのテレビがダービーを映してました。
一番人気ダンスインザダーク武豊が音速の末脚に屈した96年ダービー
武豊が初めてのダービーをほぼ手中にした刹那に飛んできたフサイチコンコルド
ゴール後に一番悔しかったはずの武豊の藤田へのハイタッチ、菊花賞後の武豊のガッツポーズが忘れられません
2013年のダービーキズナあの末脚が凄かった
1984年のダービー馬 シンボリルドルフは 岡部騎手がルドルフに競馬を教わったという言葉で競馬の奥深さを知り、かつ強い衝撃を覚え、記憶に残るレースでした!
1970年のアローエクスプレスが5着に敗れたダービーです。
まだ、11歳の5月ですが、父親の影響からこの年の皐月賞で、タニノムーティエとアローエクスプレスのデッドヒートが頭にこびり付き、次走のNHK杯でアローエクスプレスが雪辱し、迎えたのがダービー。
当時、ATラインと言われ、東西対決のムードが盛り上がったことを昨日のように思い出します。以来、アローエクスプレスの伊達秀和オーナーの所有馬を追い続け、現在に至っていることから、この年のダービーは格別です。
サニーブライアンですね。
TV観戦でしたが、果敢にハナを奪って1コーナーに入る姿に鳥肌立ちました。
ゴールのシーンよりも記憶に残っています。
少々古いですが、カツラノハイセイコです。
当時高校生の私と、大学生の兄とで、TVの前で興奮しました。
トウカイテイオー
強く、そして美しく
史上最高のダービー
サクラチヨノオーです。
一旦は完全に抜け出したメジロアルダンを、ゴール前に差し返したあの根性にしびれました。
同時に、父マルゼンスキーがダービーを走れていればという無念さも同時に感じました。
スペシャルウィークですね。
キングヘイローの暴走から始まり、展開も向かなかったセイウンスカイをあっという間に突き放すスペシャルウィークの直線の走りは鮮烈でした。
前年にダビスタからリアルの競馬にも興味を抱き、初めて見たダービーだっただけに未だに衝撃が残っています。スペシャルウィークの子供がダービーを勝てていないのが残念ですね。
シリウスシンボリ
調教師とオーナーのバトル。
加藤先生もあの状況でよく勝ちましたね!
タヤスツヨシ
サンデーサイレンス初年度産駒であの末脚はすごかった
ナリタブライアンかな。圧倒的な瞬発力と持久力だった
Wチケットなくして、私無し!ですからね。